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掲載日:2026.07.07 Research Highlights

ゆっくりとした分子の動きを利用して イオンに応答した分子の左右反転の仕組みを解明

【概要】
 金沢大学ナノ生命科学研究所(WPI-NanoLSI)のアシフ・イクバル特任助教、秋根茂久教授、自然科学研究機構分子科学研究所/総合研究大学院大学の江原正博教授の共同研究グループは、イオンとの結合に応答して分子の右巻き・左巻きが切り替わる「キラリティー反転」(※1)の仕組みを、ゆっくりと構造が変わる独自開発の閉じたカゴ構造を持つ分子を用いて解明することに成功しました。
 分子機械や情報記録材料などの次世代ナノデバイスでは、外部からのインプット(スイッチの切り替え)に応答して構造が変わる分子が重要な役割を担います。しかし、インプット後に構造が変化するまでの過程は一般的に非常に速く進行するため、その詳細な仕組みは十分に分かっていませんでした。
 そこで本研究グループは、ゆっくりとスイッチを切り替えられるような閉じたカゴ型錯体を開発しました。この分子では、インプットとして金属イオンを使った場合、カゴの入り口が閉じているので、イオンはカゴ型構造の内部にゆっくりと入っていきます。その後、構造変化(右巻き・左巻きの変化)がゆっくりと起こるため、その一連の過程を詳細に解析することに成功しました。
 本研究は、分子の応答速度そのものを設計できることを示した成果であり、将来的には分子機械、情報記録材料、刺激応答性センサーなどへの応用が期待されます。
 本研究成果は、2026 年6 月29 日(アメリカ東部時間)にアメリカ化学会誌『Journal of the American Chemical Society』のオンライン版に掲載されました。

【研究の背景】
 外部からの刺激に応答して構造や機能が変化する刺激応答性分子は、分子機械や情報記録材料などの次世代ナノデバイスの構成要素として期待されています。特に、刺激に応答して分子の右巻き・左巻きの構造が切り替わるキラリティー反転は、光学特性の制御や分子の精密な識別のための重要な現象として知られています。
 キラリティー反転は、しばしばイオンや分子など外部から加えるゲストとの結合によって引き起こされます。しかし一般的には、このようなゲストとは瞬時に結合し、それに伴う構造変化も一瞬で終わってしまいます(図1)

図1 一般的なゲスト結合を「インプット」とした右巻き(P体)・左巻き(M体)の反転。ゲスト分子やイオンが速やかに結合し、それと同時に瞬時に左右反転が起こっているように観測される。途中の過程を明らかにするのは困難であり、あまり解明されてこなかった。


そのため、“ゲストが結合した後に構造が変化する”のか、あるいは“構造が変化した後にゲストが結合する”のかを区別することは困難でした。こうした過程を区別することは、時間の経過とともに性質が変化するような新材料の開発や、その変化の仕方を精密に制御する上で重要です。この課題を解決するためには、ゲストとの結合とキラリティー反転の両方が、数分から数時間程度の観測可能な時間スケールで進行するような分子構造の開発が求められていました。

【研究成果の概要】
 研究グループは、三つのコバルト(III)錯体ユニットを二つのベンゼン環で連結したカゴ型金属錯体(メタロクリプタンド)を開発しました(図2)。

図2 「閉じた」カゴ構造を持つらせん型分子の構造。セシウムイオン(Cs+)が内部にゆっくりと取り込まれ、それに伴って右巻き・左巻きの比率が変化する。


 この分子は、内部にセシウムイオン(Cs+)などのゲストを取り込むための十分な大きさの空間を持ちます。一方で、カゴの入り口がジアミン架橋配位子によってふさがれた閉じた構造をとるため、ゲストが内部に入っていくのに数時間かかります。また、このカゴ型錯体は三重らせん型の構造をとり、溶液中では右巻き(P体)と左巻き(M体)が互いに入れ替わる平衡状態にあります。この相互変換も、数分から数十分程度の時間がかかるゆっくりとした過程になります。つまり、ゲスト(Cs+)との結合と、右巻き・左巻きの反転の両方が、観測可能な数分から数時間程度の時間スケールで進行する理想的な系であると考えられました。
 実際に、この分子の構造を結晶状態で調べたところ、この分子が予想通り閉じたカゴ型構造を持つらせん構造であることが確かめられ、結晶中にはP体のみが存在していることが分かりました。この結晶を溶媒に溶かしたところ、20分程度の時間スケール(※2)で、P体とM体の比率がP体:M体 = 66:34に変化していきました。これにより、キラリティー反転の時間スケールが数十分程度であることが実験的に確かめられました。
 次に、この系にゲストであるCs+を加える、すなわちインプットを与えたときに、右巻き・左巻きの比率がどのように時間応答するかに注目しました。実際、Cs+を加えたところ、ゆっくりとゲスト包接体が生成しながら右巻き・左巻きの比率も変化していき、8時間後には平衡状態に達しました。最終的に95%程度のCs+がカゴの内部に取り込まれ、右巻き・左巻きの比率は加える前と比べて逆転して、左巻きが優勢の状態(P体:M体 = 11:84)となりました(図3)。

図3 「閉じた」カゴ構造を持つらせん型分子の右巻き(P体)・左巻き(M体)の比率が、ゲストの取り込みに伴って変化する様子。閉じたカゴ型構造のため、「インプット」として用いるゲストの結合はゆっくりと起こる。またP体/M体の入れ替えもゆっくりと起こる。したがって、変換途中の過程を解析すれば経路A、Bのどちらで起こっているかを区別できる。今回の閉じたカゴ構造を持つらせん型分子では、最初の存在量が少ないM体がゲストを取り込むAの機構であることが、速度論解析により明らかとなった。


 この過程は、数分から数十分単位で連続的に進行したため、NMRスペクトルの時間変化を追跡することで、右巻き・左巻きやそれらの包接体の濃度の増減を詳細に解析することができました。その結果、最初の平衡状態で存在比が少なかったM体が優先的にCs+を取り込み、その結果として最終的にM体のゲスト包接体を主とする混合物に変化していくことが明らかになりました。
 ゲストを取り込むと右巻き・左巻きの比が逆転していくこの過程は、理論計算によっても明らかにすることができました。すなわち、ゲストを含まない状態ではP体が安定である一方、Cs⁺を取り込むとM体の方が安定になることが示され、実験で観測された左右の安定性が逆転する現象は理論的にも再現することに成功しました。また、対アニオンとして用いたCl⁻が分子外周部の結合部位に相互作用し、P体をより強く安定化していることも理論計算から明らかとなり、ゲスト添加によるキラリティー反転の分子レベルでの起源が解明されました。
 一般に、ゲスト結合によって引き起こされる構造変化は、多くの場合、ゲストが結合した後で構造変化が起こる誘導適合(induced-fit)として説明されてきました。しかし本研究の系では、ゲスト結合よりも先に構造変化が起こる配座選択機構により進行していることが、速度定数の解析から明確に示されました。これは、生体分子の分子認識機構として知られる反応経路において、各化学種の変化過程を直接観測した例としても興味深い成果です。

【今後の展開】
 本研究により、分子構造を精密に設計することで、ゲスト結合速度やキラリティー反転速度を自在に制御できることが示されました。本研究の成果は、外部からインプットを与えた後の時間変化の仕方や応答速度を自在に設定できるキラルスイッチや刺激応答性分子の開発につながる重要な知見であり、分子機械、情報記録材料、化学センサー、スマート材料などへの応用が期待されます。また、生体分子における分子認識機構を人工分子で再現・理解するための新たな研究基盤としても活用されることが期待されます。

用語解説

※1 キラリティー反転
鏡像の関係にあって互いに重ね合わせることのできない分子をキラルな分子と呼ぶ。これらのキラルな分子には、右手型と左手型の区別が生じる。一般的には、右手型・左手型の間の変換は起こらないが、らせん構造を持つ分子の右巻き・左巻きなどのように外部刺激などによって相互に変換できる場合があり、それをキラリティー反転と呼ぶ。
※2 時間スケール
化学反応や構造変換の速さを表す指標として一般的に速度定数kが用いられるが、本論文では実際の時間スケールを比較しやすいように、半量が反応するまでの時間(半減期:t1/2 = ln(2)/k)も用いている。

掲載論文情報

論文タイトル
Interplay between Slow Chirality Inversion and Slow Guest Uptake in a Triple-Helical Closed-Cage Metallocryptand (閉じたカゴ構造を持つ三重らせん型メタロクリプタンドにおける遅いキラリティー反転と遅いゲスト取り込みの連動機構)
著者
Sk Asif Ikbal, Masahiro Ehara, Shigehisa Akine (Sk アシフ・イクバル、江原正博、秋根茂久)
掲載誌
Journal of the American Chemical Society
掲載日
2026.06.29
DOI
10.1021/jacs.6c09090
URL
https://doi.org/10.1021/jacs.6c09090

Funder

本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業(JP18H03913, JP20K21206, JP21H05477, JP22H05133, JP22H05131, JP23H04021, JP23H01972, JP23K26665, JP23K17928, JP25K08670)、文部科学省・世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)、計算科学研究センター(26-IMS-C236)の支援を受けて実施されました。