研究所のミッション

ナノ生命科学研究所 所長
福間 剛士

人類は長い歴史の中で,科学技術を発展させ,様々な未踏の地を開拓してきました。

船,潜水艇,自動車,飛行機,宇宙船などを発明し,地球の表層とその近傍にある宇宙空間にまで足を踏み入れ,そこで生じる様々な出来事を知り,現在の人間社会の繁栄を築いてきました。しかし,深海や地球内部,そしてほとんどの宇宙空間は未踏の地として残されています。

一方で,このような壮大なスケールとは対極に位置する微小領域にも未踏の地が多く残されています。人類はこれまで,光学顕微鏡,電子顕微鏡,走査型プローブ顕微鏡などの微小領域を探索するツールを発明し,微生物,細胞,分子,原子といった人の目には見えない世界を観ることを可能にし,そこで起きる現象から様々な物性や現象の起源を学んできました。しかし,現在の科学技術をもってしても,そのようなナノレベルの構造や動態を正確に知ることのできない「未踏ナノ領域」が多く残されており,それが科学技術のさらなる発展を妨げる要因となっています。

生命科学の分野では,人体を構成する基本単位である細胞の表層や内部におけるタンパク質や核酸などの動態を正確に理解することが,生命の誕生や疾患,老化などの複雑な生命現象の仕組みを根本的に理解し,制御するためのカギになると考えられています。

しかし,これらの動きを詳細に観ることはほとんどできていないのが現状です。つまり,人体の基本構成単位である細胞の内外に未踏ナノ領域が残されており,それが疾患や老化などの様々な生命現象の根本的な理解を妨げる要因となっているのです。

本拠点では,細胞の内外に残された未踏ナノ領域を開拓し,生命現象の仕組みを原子・分子レベル(≒ナノレベル)で理解することを目標とします。そのために,細胞の表層や内部で生じるナノ動態を直接観察,分析,操作するための革新的技術を創出します。

まず,内視鏡で胃の内部を動画で観るように,細胞の内部で生じるナノ動態を直接動画で観ることのできる「ナノ内視鏡観察」を実現します。また,内視鏡治療においては,体内の異常な物質を採取・分析したり,薬剤を注入して治療しますが,これと同様のことを細胞レベルで実現します。つまり,細胞内の特定のナノ領域に在る物質を採取,分析したり,高度な制御機能を持つ分子機械を注入して受容体などの生体分子の機能を制御する「ナノ内視鏡操作」を実現します。

この革新的なナノ計測分析操作技術を基盤として,本研究拠点では,生命の誕生,疾患,老化などのあらゆる生命現象のナノレベルでの根本的理解を目指します。まず「がん」という疾患を対象とし,そこで必要となる技術を開発し,知見を蓄積することで,ナノ生命科学の基盤を築きます。

ここでがんを最初の研究対象とすることには,難病の克服という明白な社会的意義の他に,大きな科学的な意義があります。がんには幹細胞性(細胞が自己複製して増殖する能力や,様々な細胞に分化する能力),細胞内外でのシグナル伝達,ゲノム動態などの数多くの分子動態が関与しており,それらのナノレベルでの理解を目指すことで幅広い生命現象の理解に普遍的に役立つ基礎的知見が得られます。

また,がん研究では正常細胞と異常細胞というモデルが確立しており,その比較を行うことで細胞レベルの異常と,その起源となる分子動態の異常との関係を精密に理解できます。

この目標をナノ計測の研究者だけで達成することはできません。当然,がん研究を専門とする医学・薬学系の研究者が必要です。また,分子センサによるナノ分析や分子機械によるナノ操作には,高度な制御性を持つ分子複合体を設計・合成できる超分子化学の研究者が必要です。さらに,ナノ計測で得られた実験結果から原子・分子レベルの動態を知るためには,原子スケールから数百nm程度までのマルチスケールシミュレーションを可能とする数理計算科学の研究者が必要です。

本拠点では,ここに挙げた各分野において世界トップレベルの業績を持つ研究者が協力し,これらの研究基盤をさらに発展,融合させ,生命科学における未踏ナノ領域を開拓し,世界でも他に類を見ないオンリーワンの研究拠点を形成します。