高速原子間力顕微鏡が明かすエストロゲン受容体の DNA認識メカニズム 〜がんの新たな治療標的となる転写過程の動態観察に成功〜
ポイント
- 高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)(※1)で、エストロゲン受容体α(ERα)の構造変化やDNA結合過程を、1分子レベルでリアルタイム観察することに世界で初めて成功。
- ERαはエストロゲンの有無にかかわらずDNAに結合できるが、エストロゲン存在下でより安定に結合することを発見。
- 「リガンド誘導型二量体化(LID )モデル」というホルモン応答性転写制御の新たな概念を提唱。
金沢大学大学院新学術創成研究科ナノ生命科学専攻/ナノ精密医学・理工学卓越大学院プログラム履修生の西出梧朗(博士後期課程3年、研究当時)、九州大学大学院理学研究院の松島綾美教授、金沢大学ナノ生命科学研究所(WPI-NanoLSI)/新学術創成研究機構のリチャード・ウォング教授らの共同研究グループは、高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)を用いて、エストロゲン受容体α(ERα)(※2)がDNA上のエストロゲン応答配列(ERE)を認識・結合する瞬間をリアルタイムで可視化することに成功しました。
エストロゲン受容体αは、乳がんなどホルモン依存性がんの発症や進行に深く関与しており、これまでにDNA結合ドメイン(DBD)やリガンド結合ドメイン(LBD)といった部分的構造の解析が進められてきました。しかし、フルレングスのERαがどのようにしてDNA上のエストロゲン応答配列(ERE)を認識・結合し、転写活性化を引き起こすかについては、未解明な点が多く残されていました。本研究では、ERαがエストロゲン(リガンド)の有無にかかわらずEREに結合できること、特にリガンド存在下ではより高精度かつ安定した二量体形成を行い、DNA結合位置の特異性や持続性が著しく向上することを明らかにしました。また、ERαがDNA上を滑るように動きながらEREを探索する「動的サーチ機構」の存在も実証されました。これらの知見をもとに、本研究グループは「リガンド誘導型二量体化(Ligand-Induced Dimerization: LID)モデル」を提唱しました。これは、エストロゲンの結合がERαの構造安定化とDNA認識の精密化に寄与し、結果として転写活性の効率的な誘導につながるという新たな概念です。本研究成果は、エストロゲン依存性がんの新たな治療戦略の設計においても重要な手がかりを提供するものであり、今後の分子腫瘍学・ホルモン治療の進展に寄与することが期待されます。
本研究成果は、2025 年 4 月18日(協定世界時)に米国化学会の学術雑誌『ACS Nano』のオンライン版に掲載されました。
【研究の背景】
エストロゲン受容体α(ERα)は、エストロゲンに応答して遺伝子発現を制御する核内受容体であり、女性の生殖機能のみならず、乳がんや卵巣がんといったホルモン依存性腫瘍の病態に深く関わっています。エストロゲンがERαに結合すると、受容体は核内に移行し、エストロゲン応答配列(ERE)に結合して標的遺伝子の転写を活性化します。この転写活性は主に、DNA結合ドメイン(DBD)とリガンド結合ドメイン(LBD)によって制御されています。リガンド結合によりERαは構造変化を起こして二量体を形成し、EREへの高精度な結合が促進されると考えられています。DBDやLBDの構造はすでに明らかになっていますが、ERα全体の構造変化やDNA結合の動的過程は未解明のままでした。また、ERαはリガンドがなくてもEREに結合可能であることが知られていますが、その際の結合精度や安定性、結合機構の詳細は定量的に検証されていませんでした。近年、高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)の登場により、タンパク質の動きをリアルタイムかつ高分解能で観察することが可能になりました。これまで静的にしか捉えられなかった転写因子のDNA結合過程を、これにより動画として追跡することができました。
【研究成果の概要】
本研究では、高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)を用いて、エストロゲン受容体α(ERα)と標的DNA(エストロゲン応答配列:ERE)の結合過程をリアルタイムに可視化し、構造変化と動的相互作用を明らかにしました。まず、構造予測と既存構造との比較から、ERαはDNA結合ドメイン(DBD)とリガンド結合ドメイン(LBD)を有し、それ以外の領域は柔軟な構造(IDR)であることを確認しました。また、電荷分布の違いにより、DBDとLBDがDNAや基板との相互作用に異なる性質を持つことも示しました。さらに、HS-AFM観察により、リガンドがなくてもERαはEREに結合するものの、選択性や安定性に欠けることが判明しました。一方、エストロゲン存在下では、ERαは安定な二量体を形成し、EREに特異的かつ持続的に結合することが明らかになりました。また、DNA上を滑るように動きながらターゲット配列を探索する様子も観察され、これはリガンドにより促進されることが示されました。さらに、ERE結合時の構造をLAFM(Localized AFM)により再構築した結果、ERαが“side-binding”から“upside-binding”へと構造を変化させ、LBDがDBDを覆うように安定化する過程を捉えました。これにより、リガンドが結合選択性と構造安定性の向上に寄与することが可視化されました。加えて、ERαが段階的に二量体化する「sequential binding」過程も明らかにし、この現象がリガンド存在下でより効率的に進行することを定量的に示しました。
これらの結果から、リガンドがERαの二量体化とDNA結合の精度・効率を高めるという新たな概念「リガンド誘導型二量体化(LID)モデル」を提唱しました。本モデルは、ERαの動的な転写制御メカニズムを示すものであり、ホルモン依存性疾患の理解と治療戦略に新たな視点を提供します。
【今後の展開】
本研究成果により、ERαのDNA認識と構造変化をHS-AFMで可視化し、動的な転写制御機構を提示しました。ヒストンを含むクロマチン環境下でのERαの挙動や、コアクチベーターとの協調的相互作用の可視化が今後の課題です。また、ERαがNPCを通じて核内に移行し、EREへ到達する過程の観察にも挑みます。LIDモデルの検証により、がん細胞でのERα異常や薬剤抵抗性の理解が進むと期待されます。さらに、この知見は新規阻害剤の開発や、他の転写因子(AR, p53, NF-κBなど)への応用にも広がり、幅広い疾患研究に貢献します。

図1:高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)によるERαとDNAの相互作用の可視化概念図 本図は、HS-AFMによって観察された、エストロゲン受容体α(ERα:紫および青)とDNA(赤と青緑)との相互作用を模式的に示したものである。ERαは柔軟な構造をもつ領域(白)を介してDNA上を探索し、特異的なエストロゲン応答配列(ERE)に結合する。HS-AFMの探針(上部の灰色)により、DNA上でのERαの動的な構造変化や二量体形成の過程がリアルタイムで捉えられた。図下の緑色の円柱は、観察に使用された雲母基板を表している。

図2:ACS Nano の表紙。
図1および2:© Nishide et al., 2025. 出典:ACS Nano。 American Chemical Society より許可を得て掲載。
CC BY-NC-ND 4.0
用語解説
掲載論文情報
- 論文タイトル
- Zooming into Gene Activation: Estrogen Receptor α Dimerization and DNA Binding Visualized by High-Speed Atomic Force Microscopy (遺伝子活性化の瞬間を可視化する:高速原子間力顕微鏡によって捉えたエストロゲン受容体の二量体形成とDNA結合)
- 著者
- Goro Nishide, Tomoka Ishibashi, Keesiang Lim, Yujia Qiu, Masaharu Hazawa, Ayami Matsushima#, Richard W. Wong# (西出梧朗、石橋 知佳、キイシヤン・リン、邱 宇嘉、羽澤勝治、松島綾美#、リチャード・ウォング# )
- 掲載誌
- ACS Nano
- 掲載日
- 2025.04.18
- DOI
- 10.1021/acsnano.4c14943
- URL
- https://doi.org/10.1021/acsnano.4c14943