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掲載日:2025.11.07 Research Highlights

分子間相互作用から材料設計へ −キチン結晶の表面構造と水和構造を解き明かす−

金沢大学ナノ生命科学研究所(WPI-NanoLSI)のアイハン・ユルトセベル特任助教と福間剛士教授、東京大学の大長一帆助教と齋藤継之教授、JAMSTEC(海洋研究開発機構)の磯部紀之主任研究員と矢吹彬憲主任研究員、フィンランド・アールト大学のファビオ・プリアント博士および同大学/WPI-NanoLSI海外主任研究員のアダム・フォスター教授らの共同研究グループは、3次元原子間力顕微鏡(3D-AFM)(※1)と分子動力学(MD)シミュレーションを組み合わせ、キチン結晶表面の水和構造を精密に解析しました

キチンは、甲殻類の殻や昆虫の外骨格などに存在する天然多糖であり、生体適合性や高い機械的強度、抗菌性などの特性を有することから、持続可能な素材として注目されています。このようなキチンが持つ機能性を決定する要素の一つに、キチン結晶表面と接する水が形成する水和構造が挙げられます。しかしながら、その水和構造がキチンの結晶構造や溶液のpHなどによってどのように変化し、それが機能性にどう影響するのかについては、これまで十分に解明されていませんでした。本研究では、3D-AFMとMDシミュレーションを用いてキチン結晶表面に形成される水和構造をサブナノスケールかつ3次元で詳細に解析しました。その結果、結晶表面には分子鎖に沿った秩序立った水和構造が形成されていることが明らかになり、その構造は周囲のpHやキチンの結晶構造(α型/β型)によって変化することが確認されました。この知見は、キチンが酵素とどのように相互作用するか、また材料としてどのような性質を示すかを理解するための手がかりとなり、機能性バイオマテリアルの設計に新たな視点をもたらすと期待されます

本研究成果は、2025年10月16日(現地時間)に国際学術誌『Journal of the American Chemical Society』のオンライン版に掲載されました。

【研究の背景】

キチンは、甲殻類の殻や昆虫の外骨格、真菌の細胞壁に広く存在する天然多糖であり、生体適合性や高い機械的強度、抗菌性などの特性を有することから、持続可能な素材として注目されています。キチンは、分子鎖が逆平行に配列したαキチンと、平行に配列したβキチンがあり、それぞれ異なる物性を示します。とくに、キチン結晶表面の水和構造は、酵素による分解や化学反応、物質の拡散に深く関わっており、材料の機能性を左右します。しかし、水和構造が結晶構造の違いやpHなどの外部環境によってどのように変化し、それが機能にどう影響するのかについては、これまで十分に解明されていませんでした。

【研究成果の概要】

そこで本研究では、βキチンの結晶表面の水和構造を、3D-AFMとMDシミュレーションを組み合わせて、精密に解析しました。また、周囲のpH変化に伴う水和構造の変化と、αキチンとの比較も行いました。

3D-AFMによる観察では、水分子がβキチン結晶表面の分子鎖に沿って規則的なパターンを形成していることが示され、このパターンはキチン結晶表面から約0.6~0.7nmの範囲に広がっていることが分かりました(図1)。一方で、局所的に規則性が乱れる領域も存在し、「レンガ模様」や「かじられたトウモロコシ」に類似したAFM像が観察されました。これらは、水和構造や結晶表面の不均一性を反映している可能性があります(図2)。

また、pH 3〜5の酢酸バッファー条件下での観察では、水和構造がpHに応じて変化することが明らかになりました。βキチン結晶表面の水和構造をMDシミュレーションにより解析した結果、キチン表面の官能基の電荷状態が水素結合ネットワークの形成に影響を与えていることが示されました(図3)。このようなpH依存性は、外部の分子との結合性や反応性に関わる重要な要因と考えられます。

さらに、αキチンの結晶表面を解析した結果、表面には深い溝状の構造が形成されており、その内部に水分子が局所的に蓄積する傾向が確認されました。このように水分子が特定の領域に集中することで、表面近傍の水和層が厚くなり、酵素や反応分子が結晶表面にアクセスしにくくなる可能性があります。一方、βキチンでは、分子鎖間に挿入した水分子と、その周囲の水分子が常に入れ替わっていることが明らかになりました。この結果、表面の水和構造は比較的安定性が低く、酵素や外部分子が結晶表面にアクセスしやすい環境が形成されていると考えられます。

【今後の展開】

以上の知見は、キチンの水和構造を活用した高機能材料の開発に新たな指針を与えるものです。例えば、水和構造を制御することで、プロトン輸送効率を最適化するバイオプロトニクス材料や、分子拡散を制御可能なハイドロゲル、水和層を活かした反応選択性を持つ触媒設計などへの応用が期待されます。

 

図1. (上段)βキチン結晶表面のAFM像。分子レベルで緻密に並んだ構造が描写されている。(中段)キチン結晶表面上で得られた3D-AFM像。結晶表面の分子レベル構造に応じてアーチ状の水和構造が形成されている様子が可視化されている。(下段)水和構造のMDシミュレーションの結果。

図2. βキチン結晶表面における構造の不均一性。(A)雲母基板上に固定化されたβキチン結晶の液中AFM像。(B–F)結晶の繊維軸方向に沿って取得された高分解能AFM像(各像に示された楕円:部分的に乱れた領域)。

図3. 実験データとMDシミュレーションの比較。(A–C)実験的に観察されたβキチン結晶表面の分子鎖方向に沿った垂直断面の周波数シフト分布像(2D-xz)。(D–F)MDシミュレーションした垂直断面における水分子の密度分布像(赤・青・緑の矢印:実験像とシミュレーション像で類似した水和構造のパターン)。(G–I)キチン分子鎖の近傍に存在する水分子の密度分布のスナップショット。(J–L)MDシミュレーションしたβキチン結晶表面と水分子との間に形成された水素結合ネットワーク。

用語解説

※1 3次元原子間力顕微鏡(3D atomic force microscopy: 3D-AFM)
先端が非常に鋭く尖った探針で観察対象をなぞることで表面の凹凸を反映した画像を取得する原子間力顕微鏡(AFM)を発展させ、3次元空間の計測を可能にした技術。探針を3次元的に動かし、その間に探針が感じる力を計測してその空間分布をマッピングする。これにより、固体と液体の界面に存在する水和構造や表面揺動構造を原子・分子レベルの分解能で可視化できる。

掲載論文情報

論文タイトル
Interplay between β-Chitin Nanocrystal Supramolecular Architecture and Water Structuring: Insights from Three-Dimensional Atomic Force Microscopy Measurements and Molecular Dynamics Simulations (β-キチンナノ結晶超分子構造と水の構造化との相互作用:3次元原子間力顕微鏡計測と分子動力学シミュレーションからの知見)
著者
Ayhan Yurtsever*, Kazuho Daicho*, Fabio Priante, Keisuke Miyazawa, Mohammad Shahidul Alam, Kazuki Miyata, Akinori Yabuki, Noriyuki Isobe, Tsuguyuki Saito, Adam S. Foster, Takeshi Fukuma (アイハン・ユルトセベル*、大長一帆*、ファビオ・プリアント、宮澤佳甫、モハマド・シャヒドゥル・アラム、宮田一輝、矢吹彬憲、磯部紀之、齋藤継之、アダム・フォスター、福間剛士) *共同筆頭著者
掲載誌
Journal of the American Chemical Society
掲載日
2025.10.16
DOI
10.1021/jacs.5c08484
URL
https://doi.org/10.1021/jacs.5c08484

Funder

本研究は、JSPS科研費(JP21H05251、JP20K05321、JP22J01001、JP22KJ1473、JP25K18274)、文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)、JST-CREST(JPMJCR22L3、JPMJCR24A4)、JST-ASPIRE(JPMJAP2310)、JST-さきがけ(JPMJPR2508)、ならびにNEDO(JPNP18016、PJ-ID20001845)の支援を受けて実施されました。 本研究におけるMDシミュレーションは、アールト大学のScience-ITプロジェクト、CSC(フィンランドITセンター)で実施されました。 また、キチン試料採取は、JAMSTECの研究航海YK21-18C(主任研究者:野巻裕貴博士)における調査船「RVよこすか」および「DSVしんかい6500」チームの皆様より多大なご支援をいただきました。Phaeocystis globosaの培養株は国立環境研究所にご提供いただきました。